いよいよ!!

4月30日夕方「おしるし」と共に10分〜15分間隔の陣痛が始まったのですが、なかなか規則的にならず、入院の準備をして自宅で我慢しました。
5月1日お昼に病院にむかったんですが、陣痛が強くならないのでそのまま病室へ直行。
5月2日のAM2:00頃、やっと陣痛室に移動しました。陣痛室は中国語で「待産室」。
なんだか“これが陣痛室か”って理解できる名前ですよね。
待産室にはベットが6台あったんですが、たまたま私1人だったので母(はるばる山梨から来てくれました)と主人が許可をもらって入ることが出来ました。
本当は入ってはいけないんですが、外国人ってことで強引にお願いしちゃいました。

3人で“ヒッヒッフー”と呼吸法のおさらいや、マッサージやらしてもらっていたのですが子宮口が全然開かないまま朝を迎えてしまいました。長い!痛い!
5月3日の朝になって中国人の妊婦さんが1人陣痛室に入ってきたので、ここで主人は退場となってしまいました。残念!完全ビデオ収録ならず!!
その妊婦さん(現地の方)は股がパカッと割れて内診も用足しもそのまま出来る病院のズボンに履き替えさせらえていました。さすがに私には着替えろと指示は無かったので助かりました。。。いくらなんでも“股割れズボン”は日本人の女性として着れません!彼女のベットは私の対面で、しかも個々のベットの間には仕切りカーテンが無いんですよ!つまり、まる見え!なんです。
内診をするときお互い全部見えてしまうので、私は目のやり場に困ってしまいました。
あとで聞いたんですが中国の病室は相部屋でもカーテンが無いんですって!
もう何をするにもぜ〜んぶ丸見えなんです。当然、私のところに助産婦さんがきて子宮口を見てくれるときも丸見えです。私も最初は本当に嫌だったんですが、後半は陣痛がつらくて「もうどうでもいい!」くらいに思ってましたけどね。
さらに驚いたことに彼女は用足しもその場でしていました。
どんな風にしていたかと言うと、座るところがドーナツ型に穴があいている椅子とちょっと大き目の洗面器がベッドの横に置いてあるんです。。。
彼女はそれににすわってその場で用を足すんですよぉ〜。しかも私のほうを向いて!!
「せめて横を向くとかさぁ。。」と内心思ってしまいました。
子宮口が開かないまま2回目の朝を迎え、陣痛も強くなってきた5月2日の午前10時頃。
助産婦さんの「8cmになったからそろそろ分娩室へ行くよ」という天にも上るような
言葉と共に、やっとこ次のステージへ。ながぁぁぁぁい。いたぁぁぁぁい。



ここが分娩室かぁ!

陣痛室もなかなかノスタルジックな部屋だったんですけど、分娩室もなかなかの年代もの。
分娩台も“アンティークな雰囲気”でした。脚を置く所も左右高さが違うし(しかも手でキコキコと高さを調節)金属製なので、足をかけても痛いし居心地が悪い!!
手を握るグリップのところも金属製のはだかのパイプなんです。シブすぎる。
そんな分娩台に移され、医者だか助産婦さんだか分からないスタッフの人たちが入れ替わり立ち代り入ってきてちょっと離れたところでグチャグチャ話をしているんです。
こっちは痛くて不安で「なんなのよぉ〜。なんでもいいから早くぅぅぅ」って思っているところへ、ようやく通訳の人が登場して状況を説明してくれました(この日は祝日でお休みだったので、当番の通訳さんが病院からの連絡を受けて
自宅から来てくれたんです)
なんでも「子宮口がまだ全開ではないので軽い睡眠薬を注射して子宮口が開くのを待ちましょう」とのこと。こっちは痛さでもーろーとしながら薬を注射され、意識が少しづつ遠のいていったのですが、30分くらいであまりの痛さで目が
覚めちゃいました。部屋には私と助産婦さんの二人っきり。
私が「いたぁぁーーーーいぃぃ」と騒ぐと子宮口をみてくれて「まだまだ」と。
「ほんとかぁ?こんになに痛いのにぃ?だましてんじゃないだろうな!」と真剣に思いました。そのまま1時間位同じことの繰り返しで、その間ずーっと騒ぎまくりました。
何度「このまま気を失いたい!」って思ったことか。。注射する前にいたはずの通訳さんもどこかに消えてしまっていました。「どうなってるの?いま私は。。。」

今の状況がどんななのかつかめず、痛さもピークに達した(と感じた)頃、スタッフもわらわらと増えてきて、いよいよって雰囲気になってきました。
しかし言葉がわからない私は何を言われているのかも分からず、“いきみたい感覚”に我慢できず、“いきんでOK”のゴーサインも待たずに勝手にいきみ始めてしまったのです。そしたら助産婦さんとかが寄って来て、なんとなく本番が始まりました。
すると、あまりの私の声に母親が心配して分娩室に入ってきたんです(本当は立会いはダメです)苦しがっている私の横に立ち、「こんなに痛がるんなら、日本で出産すればよかった」と泣きながら一緒にいきんでくれてました。いい話なんですが、正直こっちはそれどころではなく、通訳さんも戻ってきてくれないので、いきみ方の要領もわからず、本で読んだ「目を閉じないでおへそを見る感じで。。。」と自分にいいきかせながらいきんでました。2、30回いきんでも出てくる様子も無く、だんだん力尽きてきて上手くいきめなくなっていると、やっと通訳さんが戻ってきました。
おそいよぉぉ
「私につかまって、お尻をベットに押し付ける感じでいきんで!」と言われてやっとリズムができてきました。しかしここでまた事件が。例の“アンティークな分娩台”の金属製のブリップがガタンって片方が外れたんですよ!!(私の力がありすぎたのか??)
本当にびっくりしました。不安をかかえながらも通訳さんの指示通りにいきみ始めて10回くらいでついに“ブリリン”と3575gのデッカイ女の子が出てきてくれました。感動で涙するかと思っていましたが、その時は「とにかく痛みから開放されたぁ〜!!
だけど通訳さん!どこ行ってたのさ!あんた!!」と、感動のなみだも出なかったんですよ。
実は通訳さん、「睡眠薬が切れるのは2時間後ですから、お母さんも食事にでも行ってきたらどうですか」と母に言い残し消えてしまったそうです。
そして2時間後きっかりに戻ってきたみたいです。こっちは2時間どころか、すぐに意識が戻ってすんごい痛みで不安だったんですよ!って言いたかったんですけど言えませんでした。。。。
産み落とした後、初めて我が子を見たときは「本当にお腹の中から出てきたんだね。」とちょっと不思議な感覚でした。子供を見た瞬間大切なことを思い出しました。
そぉです、中国ではへその緒を取っておくという習慣がないので捨てられてしまうそうです。
ヘロヘロになりながらも分娩台の上から「へその緒すてないでぇ。。」とお願いして、少しだけとっておいてもらいました。陣痛中もそのことはすっかり忘れていたのですが、子供を見た瞬間思い出して、「自分でも良くそんなときに思い出したなぁ。」と感心してします。
でも本当に無事に出産が終わってよかったです。
出産までの10ヶ月間私を支えてくれた主人と、はるばる山梨から駆けつけてくれた母に感謝!感謝!です。

 ― 謝謝 ―
                                
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